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アセスメント前に大事なこと

  • 6月18日
  • 読了時間: 3分

人生の岐路に立ったとき、あるいは、人前で改めて自分について説明が必要なとき、など、

自分について改めて向き合うときがある。

そういうときに、心理査定(心理アセスメント)は役に立つことが多い。


心理検査の種類はいろいろあるが、いくつか組み合わせて使われることが多い。

1つの検査で分かることの範囲は、検査が持つ力によって広かったり、狭かったりいろいろだが、それでも検査からわかることは限られている。それくらい、人は多面的である。


1つの心理検査が出来上がるまでには、標準化という作業を通してたくさんの実際のデータが集められる。また、もとにある測りたいものの概念は、たとえば「不安」にしても「怒り」にしても、人によってその言葉から連想されるものの実態は幅広いので、本当にその測りたいものが測れているのか、を検証する作業もいろいろある。「信頼性」とか「妥当性」と呼ばれるもので、それぞれに何種類もある。そういうとても精密な検証を経て、公刊されていて、誰でもが購入できないようになっている。なぜか。


それは、心理検査は学校のテストと同様に、本来、答えを知らずに取り組むものだからである。学校のテストでも、試験用紙は当日まで見れないものである。試験用紙を丸暗記するのはカンニングである。カンニングは違反である。

ネット上にもたくさんの心理検査が出回っているが、本来は出てはならないものである。


自分でセルフチェックしてもよい類の軽い検査もあるが、本来は、ほとんど前情報がないまま、フレッシュなそのままの、その時のその人がきちんと反映できるように、何も知らない状態でアセスメントの場に望んでほしい。


主に病院臨床で30年ほどアセスメントに携わってきて、いろんな方々の検査をさせていただいてきたが、検査データに現れるのは、占いの「当たるも八卦、当たらぬも八卦」のように、その人自身が納得する「当たる」部分と、その人自身さえ理解されていない「当たらない」と感じる部分が混ざり合って立ち現れることが多い。占いの手法も現代では科学的になってきていて、信ぴょう性もそれなりにあるとわたしは考えているが、心理検査はそれ以上に科学的な手法を経て作られている。

たくさんの勉強と経験値を経て、検査する側も読み方が上手になっていくが、それでも検査する側が何もかもわかっているか、と言われれば、その人についてはほぼ知らない状態で検査することが多いので、検査データ上わかることしか分からない。また、データ上の矛盾は、いくつかの可能性を含んでいて、それだけではどう解釈していいか分からないことも多い。


それで、結果について一緒に話し合うことが大事になるわけだが、その中で「言われてみれば…」という部分や、矛盾している部分の読み方が少しひも解けたりすることがある。

自分について、普段から感じている自分なりの疑問などもあれば、この時に話し合うことで、理解がとても深まることがある。せっかく労力をかけて取り組むのだから、自分なりの疑問をいくつか持って臨むと、検査体験そのものが深まるのでお勧めだ。もちろん、自分なりの疑問がダイレクトにわかることばかりではないが、少なくとも、あなたに対する理解が深まるだろう。


検査をするたびに、検査はよく出来ているなあ、と思うことが多いし、その後の展開で行き詰るときに検査データに立ち戻って考えてみることも多い。その都度、多くの発見がある。


人は、表面的に表している部分はその人のごく一部であることが多い。

検査データを通して見えてくる部分は、その人のとてもデリケートな部分であることもある。

そういう味わい深いところを損なわないように、どうか、何も知らない状態で、何も調べない状態で、心理アセスメントに臨んでいただきたいと思っている。




 
 
 

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